【雑記】「スパルタ教育」の語源が2000年以上前にある話

今日は古代ギリシアからの一言。
「スパルタ教育」の語源は有名ですね。

昔々、紀元前数世紀頃、ギリシアにスパルタという都市国家がありました。
スパルタでは身分が
スパルタ人・半自由民・奴隷身分
の3つに分けられていたと言われています。

一番上の身分……スパルタ人(彼らは自らをラケダイモン人と呼んでいました)は、
数で言うと半自由民や奴隷身分よりも随分と少なく、
彼らは半自由民や奴隷身分の人々による反乱に、常に神経を尖らせていなければなりませんでした。

そこでスパルタ人がどういう対策を取ったかというと、少数精鋭です。
現代の言葉で言う国民皆兵制度といったところでしょうか。
そう、市民が全員ムキムキの戦闘員になることで反乱に備えたのです。

男子は7歳で親元を離れ集団生活をし、12歳から本格的な軍事訓練が始まりました。
健康な子を産むことが求められたので、女子にも運動が奨励されたようです。
産まれた子は皆審査をうけ、虚弱そうに見える赤子は捨てられたともいいます。

恐ろしい……

しかし、こうして国を挙げての体育会系教育を行ったスパルタは、ギリシア屈指の強国へと成長していきました。

300(スリーハンドレッド)という映画はご存知ですか?
ペルシア戦争の際、たった300人のスパルタ軍が数十万のペルシア軍に立ち向かったというテルモピュライの戦いを題材にしたものです。(数については諸説有り)
かなり脚色してあるとはいえ、映画としては熱くて面白かったのでお気に入りです。

300vs数十万……一瞬で勝敗が決してしまいそうな戦力差ですが、
なんと驚くべきことに歴史書では途中までギリシア方が優勢だったと伝えられているんですよね。(ヘロドトス『歴史』7巻)
これはおそらく、テルモピュライが非常に狭く、防衛に適した地形であったからです。
ペルシア軍は大軍の利を生かしきれなかったんですね。
300人のスパルタ兵達は、結局は後ろに回り込まれて全滅してしまうのですが、討ち死にした兵達と、彼らを率いていた王であるレオニダスは英雄として讃えられました。

……などと脱線して少し熱く語ってしまいましたが、
本家本元のスパルタ人の壮絶さを思うと、今日のスパルタ教育には心なしかまだ優しさを感じます。笑
2000年の時を越えて語り継がれる彼らの名に、なんだかロマンを感じませんか?

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